×群馬
福田小百合さん
地域とともに。女性の生涯に寄り添い、「当たり前」を手にすることへの挑戦。
★本記事は、2016年1月6日にリリースした記事を、2022年にウェブリニューアルに伴い、内容の一部を加筆・修正し、「大人の探究マイストーリー」として紹介するものです。
妊娠・出産時のみならず、“女性の生涯にわたる専門病院”として、江戸時代中期から約300年、ここ群馬・高崎の街とともに、女性に寄り添い続けてきた「産科婦人科舘出張佐藤病院」。
高崎市民ならば言わずと知れた知名度と実績を誇る病院は、今もなおその役割と可能性を広げ続けています。
その立役者が、経営企画室長として勤務する福田小百合さん。「女性の健康」に真正面から取り組み続けてきた福田さんが一体今、何を目指そうとしているのか?お楽しみください。
「産科婦人科舘出張佐藤病院」は、およそ300年前の江戸中期に、観音山の麓にある「舘」という地域で医療を興し、現在の院長である佐藤雄一先生が12代目である歴史ある群馬が誇る産婦人科病院。
「舘出張(たてでばり)」という屋号は、当時、高崎城(現在の高崎市役所や群馬音楽センターの近く)を拠点とした高崎藩を医療面から支えるために、「舘」から現在の病院が位置する場所に「出張」し、藩医として取り組んできたことから由来します。
福田さん 昔は出張(しゅっちょう)することを「でばる」と呼んでいたそうです。約300年もやっていますから、ひいおばあさん、おばあさん、おかあさん、わたし、というように3代・4代でお産されているご家族もいます。昔から馴染みのある方々には、今でも病院のことを「でばりさん、でばりさん」と親しみをもって呼んでいただいています。地元に密着し、寄り添い続けてきた証かもしれませんね。
単科の産婦人科として代々、地域に密着して取り組まれてきた佐藤病院の存在は日本でも珍しいよう。現在は、群馬県内で産声をあげる赤ちゃんの一割(年間で1,500名程度)が佐藤病院で生まれ、この人口減少社会の中では大切な役割を果たしています。
画一的な産科婦人科婦としての役割や取組にとどまることなく、「女性の生涯にわたる専門病院」として今もなおその技術や医療の質を向上し続け、言葉通り“女性の生涯”をサポートしているようです。
福田さん 先代(11代目)が院長の頃から、分娩室の監視モニターの導入から始まり、腹腔鏡手術や不妊治療なども先進的に取り組んできました。そして現在の院長(12代目)が引き継ぎながら予防医療などの側面からも更に発展させるとともに、群馬県に数名しかいない婦人科の腹腔鏡手術の技術認定医としても、その技術を活かしながら女性の生涯にわたるお手伝いをしています。
「女性の生涯」に対して真正面から取り組んでいる病院として、「高齢出産」という実際の社会の動きをチェックすることは欠かしません。病院内でも、佐藤病院で出産した方の平均年齢を分析し、安心して妊娠・出産するためのポイントを“健康なカラダづくり”と、福田さんは説きます。
福田さん 佐藤病院でお産した方の年齢を、1998年時点と2010年時点で比べてみると、その12年で平均して2歳程度、年齢が上がっています。今は2015年なので、おそらくは更に1歳程度、上がっていると思います。その要因はいろんなところにある。けれど、だからこそ、女性には、お産年齢が上がったとしても安心してお産をするための“健康なカラダづくり”が大切と実感しています。
そんな地域と女性に寄り添い続けてきた佐藤病院の経営企画室長として働く福田さんですが、ご自身が病院で働き始めたのが今から12年前のことです。それまでは自営業や、会社経理の派遣スタッフとして働いていましたが、たまたま見かけた病院の求人がきっかけに。
福田さん 元々、自営業をしていましたがそれを畳むにあたって、どこかの会社に勤めなければならなくなりました。でも、正社員としての働き口がなくて…仕方がない思いとすがる思いで派遣スタッフとして設備工事業の会社で働き始めました。はじめは全くパソコンが使えなくて、「エクセルのシートがどこかに消えてしまいました!」、「ワードで矢印が出せません!」みたいな世界でした(笑)社員の方に教えてもらいながら、少しずつ経験を積んで、「これなら正社員として働くことができるんじゃないか?」と思った矢先に出会ったのが、佐藤病院の求人でした。
今では、経営企画室として病院の経営や企画を総合的に取り組み、病院内の改革とともに、病院を飛び出し、様々なことに取り組んでいます。
最近では2年間の勉強の末、「病院経営管理士」という病院の組織医療の管理運営を行うための資格を取得したりと、活動の質を高めるための努力を惜しんでいません。
福田さん 私は大学で学ぶことができかったんです。親から「お金が無いから大学には行かせられない!」と言われ、高校卒業した翌日から社会に出て働き始めました。自分が学びたいことは、自分でお金を貯めて、自分で機会をつくらなければなりませんでした。その「高卒」というのが、自分の弱みのようなところと感じているからこそ、チャンスがあれば勉強しないと!と思ってしまいます。そういう「学びたい欲」みたいなものに、いつも渇いている。学べば学ぶほど、ひとに出会うほどに「やっていてよかったな」と思う気持ちと「まだまだだな」と思う気持ち、両方うまれますね。
そうした日々の努力の積み重ねの中で、2011年には同僚と、女性が健康で輝ける社会を創りたいとNPO法人ラサーナを設立し市民公開講座を開いたり、翌2012年には女性向け子宮頸がん啓発マラソン「高崎美スタイルマラソン」を開催するなどの精力的な活動。12年間の歩みの中で、成果として実感し始めたのがここ5年の間といいます。
福田さん 12年間仕事をしてきてようやく少しずつカタチになり始めてきているかなという気がします。院長を中心に、病院の外に向けて発信し続けてきて、病院内も変わった実感もありますし、健康のための女性の検診率も上がってきてもいます。「検診するんだよ!」とか「身体を大切にするんだよ!」と伝え続けてきた結果かなあと。ここ5年で目に見えたカタチで実感しています。風当たりが激しかった時期もありますが・・・(笑)
女性が健康で輝き続けるために、精力的な活動を推進する福田さんの原点は「当たり前」を手に出来なかったことだそうです。
福田さん 私が中学生の頃に、母親が病気で早くに亡くなりました。「お母さんがおうちにいられる家族」という「当たり前」を、私は手にすることが出来なかったのですが、それが今の活動の原動力になっている気がします。だからこそ、まずは女性が健康であり続けられるように、地域と女性に寄り添っていきたい。仕事をしている、していないに関わらず「お母さんが元気でいられる家族」、それが私の憧れなんです。
「当たり前」を手に出来なかった原体験を、今の原動力に変えながら、女性が健康で輝き続けるための活動をしています。活動にあたっては、様々な壁が現れ、その壁を幾度となく乗り越えている福田さん。お話の終わりに、改めてこれからの佐藤病院、そして福田さんご自身の活動の想いを伺いました。
福田さん やはり母親を早くに亡くしたことが私の原点。だからこそ女性が健康であり続けられるために、産婦人科病院として出来ること、病院外(NPO)として出来ることをしていきたいです。思春期の少女からおばあちゃんに至るまでトータルでサポートしていきたいと思います。
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【産科婦人科人科舘出張佐藤病院】 http://www.sato-hospital.gr.jp/
【NPO法人ラサーナ】 http://npo-lasana.org/
【高崎美スタイルマラソン】 http://bistyle-run.com/