×10代

“普通”で居られることの難しさに、どのように向き合うのだろう?

NPO法人DNA事務局です。日々、「未来の教室」を始めとする様々な授業でいろんな生徒に出会います。私たちがどんな授業においても大切にしていることは「人との関わり」と「対話」を軸にした授業を行うこと。

そんな授業を通じて、どのような生徒に出会い、どのような対話が行われているのか?について振り返るのが本レポートです。年間3,000名を越える生徒に関わり、対話を届ける中の“たったひとつの事例”ですが、その“ひとつ”が数多に広がっていることを想像しながら、ご覧いただけたらと思います。

「将来、何がしたい?」の問いの前にあった“いまの自分”のこと – 。

この日は、高校生活がスタートしてちょっと経って、新しい人間関係が出来始めてきた時期にいる高校生たちに届ける「未来の教室」でした。「未来の教室」という授業の名前なので、高校生たちも将来について考えていくことを想定しながら授業に臨んでいたのか、「将来、何かしたいことってあるの?」という質問に、「俺は車関係の仕事をしたいです」とすぐに返ってきました。

その生徒が、「車関係の仕事」に興味をもったきっかけは、どうやら中学校の職場体験。車を整備する人の仕事ぶりを体感して、純粋に「カッコいい」と思えたとのこと。「そういうのを見て、“カッコいい”と思えたんだね」と聴くと、「わからないけれど、その時にカッコいいと思えたんですよね」と少し照れくさそうに話をしてくれました。

 

高校生にとって「未来の教室」のゴールは、未来に向けて自分なりの1歩を進めること。

「将来、何がしたいか?」という問いに対して「車関係の仕事に就きたい」という返答。そのような状況であるなら、“車関係の仕事に就く”というある意味明確なゴールに向けて、日常につながる行動を後押しするような対話が必要なのかもしれません。

しかし、事前に先生方とのやり取りで、「将来、何がしたい?」という問いよりももっと大切な問いがありました。それは「どんな自分でいたいか?」ということ。そこで改めてセンパイから生徒に対して「今日考えてきたいことは、“どんな自分でいたいか?”ということなんだけど、これについて考えていきたいことは将来の仕事についてでいい?他に何か考えたいことはある?」と問うと、返ってきた言葉は「僕は普通でいたいんです。どうしたらいいかを考えていきたい」とのことでした。

対話において大切なことは“共通の問い”を持ちながら、やり取りをすること。生徒から考えたいと出された問いは、「“普通”で居られるためには、どうしたらいいか?」ということでした。そんな共通の問いを、センパイと生徒が持ってから、生徒自身がポツポツといまの高校生活について話をしてくれました。

「“普通”で居られるためには、どうしたらいいのか?」

中学を卒業して進学するほとんどの生徒にとって、高校は新しい環境。新しい環境で、一から人間関係を築くためには、その人の“ひととなり”で関係を築くというよりは、「同じ中学」「同じ部活動」「同じクラス」とお互いにカテゴライズし合いながら関係を築く形で、思春期である高校生は日々を過ごしがちです。

そんな人間関係を築いた先にあるのは“いつめん(いつものメンバー)”。“いつめん”で過ごしながら、高校生活になれていく。

しかし一度出来上がった“いつめん”の中にある生徒一人ひとりは、それぞれのペースで心が成長し、変わりゆくもの。“変わりゆく自分”と、“変わらない人間関係”に思い悩む生徒が、「いつも居る友達に合わせてばかりで、その友だちに思ったことをいえない」と言葉にしたところから、対話が始まりました。

【生徒の話】

・「自分がいつも“いつめん”の友だちに合わせてばっかりで、その友だちに思っていることをいえない」

・「“いつめん”の友だちに対して周りからは“あいつらは勉強できないやつ”・“人に迷惑をかけるやつら”といわれている」

・「その影響で、俺も“そういうやつ”だと見られてしまって、何だかメンドーがられている」

・「でも、俺は今めんどうくさいと思われていたしても、“普通”に思われたい」

自我がめばえ、客観性を持ち始める思春期には、「自分がどう見られているのか?」という自意識を持つ傾向が強くなります。自分自身の中にある“多面性(友だちとは一緒にいたいけど、一緒には見られたくない等)”に悩みながら、日々成長していく時期ともいえます。

「いま、こうして思っていることを大切にしたい」-対話から見えてきたもの。

自立と依存の葛藤にある思春期において、生徒自身がその葛藤に気付き、言語化していくプロセスを持てることが必要。どんな気持ちなのか?どうしていきたいのか?どんな自分でいたいのか?という言葉に出来ない考えや価値観を、自分なりに表現していく。しかしそこには、安心できる環境における「対話」が必要です。それが今回の「未来の教室」を、生徒に届ける意味でした。

【生徒とセンパイのやり取り】

○センパイ:「友だちのこと、どう思っているの?」

●生徒:「いいところがたくさんある。二人で居るとすごくいいやつなんだ。でも時々『俺はいいやつだよね』と言っちゃうところがたまに傷なんだけど(笑)」

○センパイ:「高校時代の俺は、のび太くんみたいな存在だったなあ。いつも一緒にいた友だちが“ジャイアン”でさ・・・」

●生徒:「ジャイアンって(笑)」

(中略)

○センパイ:「さっき普通で居たい、普通で見られたいって言っていたけど、〇〇が考える“普通”って、どんなイメージなの?」

●生徒:「『中学はこういうやつだった』『△△と一緒にいるやつ』『いつも迷惑をかけている人』じゃなくって、普通で見られたい。普通の自分として居たい。他の友だちとも話したいし、話しているだけで楽しい、それだけでいい。それがいいな。」

○センパイ:「なるほどね。これから普通でいられる?」

●生徒:「わからない。・・・変わろう。でも、変わられるんですかね?結局、無駄ですよね・・・?」

ここまでの対話で、授業が終わりに近づきました。授業の最後には、 “いまの気持ちや考えていること”をフューチャーパスポート(FP)という資料に書き記しておきます。

―――「いま、こう思っていることを大切にしたい」

葛藤の気持ちと確固たる想い、そのどちらも秘められている生徒の字を見て「未来の教室」が終了。見送るときに「もっと話していたいな」と照れくさそうに言葉をかけてくれた生徒の姿が印象に残りました。

こうして、この日の授業「未来の教室」は終わりを迎えました。変わろう、変われない。その行ったり来たりをする中で、「かわらずそこで話を聴いてくれる人」の存在と関わりは、高校生にとってとても大切。答えが明確に出ないことかもしれないけれど、行ったり来たりで自分の考えを確かめていく時間を、群馬の10代には手にしてほしいと思います。

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