×教育

浅岡祐平さん

高校生が幸せな人生を歩むために、“社会を生き抜く力”を育む機会を。

★本記事は、2017年3月15日にリリースした記事を、2022年にウェブリニューアルに伴い、内容の一部を加筆・修正し、「大人の探究マイストーリー」として紹介するものです。

NPO法人DNAが群馬県内の高等学校に通う生徒に向けて届けている授業「未来の教室」。

限られた2時間の授業の質を高めるために、事前に行う先生へのヒアリングを通じて、高校生の現状を正しく捉え、ともに機会を届けています。「未来の教室」を届けるにあたって大切にしていることは、プログラムが“外付け”にならないこと。高校生が日常に戻った時に、高校生が一歩目を踏み出し、行動し続けられるような環境を目指すために、先生方の想いや課題感を基にしたプログラムづくりを心掛けています。

そこで今回は、2016年12月7日に、群馬県立桐生南高等学校に通う3年生へ届けた「未来の教室」について、担当教員として取り組んでいただいた同校の浅岡祐平先生に、代表理事の沼田がお話を伺いました。浅岡先生が、未来の教室を実施した後の高校生の変化をどのように捉えたのか、普段どのような想いで高校生に向かい合っているのかについて、ぜひご覧ください。

【紹介】群馬県立桐生南高等学校 教諭。教科は公民科。JRC部顧問。自身の高校時代の翠巒祭※実行委員会やJRC部での経験を原体験として、可能性を拡げる役目を担う大人として生徒と向き合うことを大切にしている。教員生活6年目(インタビュー現在2017年2月末)。桐生南高等学校3年生の担任であり、進路指導部として「未来の教室」の実施を調整していただいた。※翠巒祭とは群馬県立高崎高等学校の文化祭の名称。

“目の前に見える”進路だけではなく、その先にある“見えづらい”人生に対して-

―――本日はよろしくお願いいたします。まずは、「未来の教室」の導入するきっかけについてお伺いします。特に今回は、進路が決まった3年生に向けて、卒業間近の12月に実施したわけですが、先生としてはどのような想いがあったのでしょうか?

浅岡先生 本校では例年、専門学校や大学の推薦入試などで早い段階で、卒業後の進路が決まっている生徒が一定数います。

そんな「進路」が決まった生徒は、目の前の目標がなくなってしまい、残りの高校生活を何となく過ごしてしまう現状にありました。一方で、まだ大学入試を控えている生徒は、最後の最後まで「進路」に向かい合わなければならない。

同じ学校に通って、3年間一緒に過ごしてきた高校生でも、“進路”という目標が達成されるか否かで、同じフィールドにいるけど、一人ひとりの環境が少しずつ変わり始めてしまいます。変わり始めること自体は、決して悪いことではないですが、クラスや授業に対する微妙な温度差やズレが生じてしまい、それまで通りには、なかなかいきません。

―――確かにそれまで“進路決定”という共通の目標に向かっていった高校生が、それぞれの目標を達成するタイミングが違うことで、それまでのクラスや授業の雰囲気とは違ってくるのかもしれませんね。

浅岡先生 そんな状況の中で、進路が決まっていない生徒は最後までやり抜くことが大切でしょうし、進路が決まった生徒も残りの高校生活を「何となく」過ごしてほしくはないなという問題意識がありました。

私は、生徒にとって、高校生活においてのゴールが“受験”だけではなく、“社会を生き抜く力”を身につけていくことだと思うんですよね。

だからこそ、人生の次のステージに向かうための準備期間である貴重な残りの高校生活を、どう主体的に過ごしていくのかについて考え、行動に移せるような機会が必要だという想いがありました。「何となく」で過ごす残りの高校生活を見直して、今できることに向き合える時間をつくりたいと考えていたんです。

―――でも、ある意味で、高校生の“進路決定”という目標が達成されたのであれば、先生としての仕事は一区切りになりませんか。正直、そこまで取り組む必要はあるのでしょうか?

浅岡先生 そうですよね…。でも高校生の彼らは、高校生活が終わっても、生きていくので。そんな彼らが“生き抜く力”を身につけられるかどうかまでが、教育の役割なんじゃないかと思っています。

極端な話、受験を突破する力だけを育むのであれば、学習塾や、それらに特化した動画を見ればいいかもしれません。でも、それだけではなくて、学校という共同生活の中で、これから先も生き抜いていく力を身につけるためには、教員である私も、彼らの先を見据えながら、関わっていくことが大切なのではないかと。

―――浅岡先生が、そういったことが大切だと思い始めたのはいつころからなのですか?学校の先生として働き始めてすぐに思ったのですか?

浅岡先生 いや、最初からそう思っていたわけではなかったと思います。ただ、「知識だけを持っていても意味がない」と、漠然とは思っていました。たとえば歴史において、国際的に開かれた会議の名前と年号だけ覚えていても意味はない、と。なんでその会議が開かれたのか、その後、社会的にどんな変化があったのかを考えることや、そこから得た気づきだったり、考えたり、説明したりという経験を、これから先の人生に活かしていくことが大切だと考えていました。

一方で、センター試験がなくなったり、“アクティブラーニング(主体的・対話的で深い学び)”や“21世紀型スキル”が必要とされ、社会の変化に対して学校教育も変わっていく中で、元々抱いていた問題意識と、いま社会で必要だとされること重なってきていることを感じていました。

でも、それを日常の授業に、どうつなげていくのかについてはすぐ取り組むことはできませんでしたが…。

―――そんな問題意識を持ち始めた中での「未来の教室」の実施だったわけですね。

浅岡先生 そうですね。高校生の彼らは、目の前の見えているものに対しては頑張れるかもしれないけれど、合格して進路が決まってしまうと、その先って目に見えないから、なかなか頑張りづらい。私も、目に見えることに力を入れがちですけれど、目に見えづらいことに対してどう力を入れていくかも大切。・・・でも、正直難しいところです。

そこで、目の前に見えているものだけではない、もう少し広い目で、もう少し先の自分の人生を捉えなおすために、高校生よりも年上の人たちと話せる場があったらいいなと思っていたところで、今回の実施に至りました。

周りも改めて頑張り始めるようなきっかけに-。

―――そんな高校生に対しての浅岡先生の想いから実際に届けることができた「未来の教室」でしたが、当日の感想はいかがでしたか?

浅岡先生 ぶっちゃけて言うと、ホッとしましたね(笑)

―――ホッとしたのですね!ホッとしたというのは、どういうことですか?

浅岡先生 ホッとしたっていうのは、新しい試みをした後に常にある感情ですね。普段の授業でも思うことですが「アイデアや思いを形にして、とりあえず実行まではできたな」という気持ちです。企画として打つことはできたというか。そこから生徒に響いて行動に変化がないとダメなんですけど、思いやアイデアだけあったとしても打たないことには響くことは決してないので。
初めての取り組みでもあったので、生徒が受け入れられるかどうかも気になっていました。でも、スムーズに受け入れていましたね。生徒もいい表情していました。

―――「未来の教室」が終わった後に、事後授業として、生徒のみなさんも自分の高校3年間を振り返って、これからどんなことを頑張りたいのかを自ら「語る授業」を実施されましたよね。その反応はいかがでしょう。

浅岡先生 結構、できていましたね(笑)生徒たちが自分のことをちゃんと語っていて、嬉しかったです。

―――浅岡先生自身が、語りを聞く中で、生徒のみなさんに対して気づいたことはありましたか?

浅岡先生 ありましたね。意外と自分のこと、そう捉えているんだな、とか。たとえば「自分に自信がない」・「自分は引っ込み思案」など、意外と生徒が自分自身をネガティブに捉えているんだなと知りました。そんな風に見えないのにな、って。

でも「未来の教室」でセンパイから赤裸々に話してもらったこともあって、生徒たちもかなり前向きに語っていましたね。「何だ、いい顔して喋れるじゃん!」・「もっと喋んなよ!」って思いました(笑)

そう喋れたのもきっと、生徒同士が安心してお互いに喋れる雰囲気になっていたんだと思います。外から見ていた私としても心温まる光景でしたね。

―――実際に「未来の教室」を経て3ヶ月ほど経ちましたが、その後、生徒のみなさんにどのような変化がありましたか?

浅岡先生 変化、ありましたね。作業療法士になりたいと言っている生徒が、手話を勉強し始めたんです。自分で本を買って、黙々と勉強し始めました。あと、理学療法士になりたいと言っている生徒は、元々、生物や生体に強い関心があったのですが、専門書を買って高校の勉強を超えて勉強し始めました。2人ともすでに進路は決定していましたが、改めて、自分のやるべきことやなりたい姿を見つめ直して行動に移せたのかなと思います。

あと、すごく印象的だったのは、そういう風に取り組み始めた生徒を、他のまだ進路が決定していない生徒が見て「最近、〇〇頑張っているよね」と、周りも改めて頑張り始めるきっかけになっていたことですね。

一人で取り組むことには限界があり、誰かと取り組むことには面白さがある-。

卒業式の直前に、浅岡先生が担当していた教室で取材。教室の後ろには、1年間を通じた生徒の集合写真が飾られている。

――3年間、ともに過ごしてきた生徒のみなさんがいよいよ卒業ですね。3年生の担任もされてきたと思いますが、どんなことを大切に生徒のみなさんに関わってきたのでしょうか?

浅岡先生 “肯定感”を育めるかどうかを大切にしてきました。それは自分自身に対しても、自分が所属する集団に対してもですね。たとえば「うちのクラス、好きだな」・「うちの学年って、いい学年だよね」と思える気持ちを醸成することに、すごく気を配って関わってきました。一人ひとりのモチベーションにも大きく関わると思うんですよね。

もちろん自分のために、ひとりで頑張ることも大切だと思うんですが、できれば「あいつが頑張っているんだから俺も頑張らなきゃな」とか「この仲間のためにもやり遂げたいな」と少しでも思える経験をしてほしい。たとえば卒業した先に所属する会社や組織に入って「なんかここの人間関係、ギクシャクしてるな。よし、ちょっとどうにかしてみようか」と思って、チームのために何か取り組めるようになることは大切だなと。

――それって、高校生だけじゃなくて、大人にもすごく大切なことですよね。「最近、元気ないけど、何かできないかな」って声掛けてみたり、弱いところも見せながらもともに乗り越えようとしたり。

浅岡先生 本当、そう思いますね。

――浅岡先生が、そのようなことが大切だと思い始めたきっかけは何ですか?

浅岡先生 そうですね・・・高校時代に翠巒祭実行委員会で取り組んだことが、原体験になっていますね。高崎高校では翠巒祭という文化祭があるんですが、そこにちょっと普通じゃない熱量を注いでいる「実行委員」という部活があって。最初は、委員会の先輩に憧れて「なんで、こんなに先輩はカッコいいんだ」と思って。どう集客したらいいだろうとか、どう仲間に参加してもらえるのだろうと悩んで、みんなと創り上げた翠巒祭が終わった後の一体感や達成感は「この気持ちは他に勝るものはない」と思える経験でした。

いま振り返ると、その経験や思い出から、そもそも一人で取り組むことには限界があって、誰かと取り組むことに面白さがあると思ったり、「この仲間たちが好きだな」という気持ちが大切であることに気づきましたね。「みんなで同じ方向を向いて取り組むって面白いぞ」と、それは試合に勝つでも、ゴールを決めるでも何でも面白い。それが「それぞれ自分の進路を選び、実現していく」だったら、めちゃめちゃ難しいけど、やっぱり面白いですよね。

――なるほど。それを、ある意味でゴールが明確な部活動だけじゃなくて、クラスにある、という発想は私にはありませんでした。

浅岡先生 部活動とかだけじゃなくてクラスでもそのような感覚を育めたら面白いなと思っていて。「ホームルーム」って言葉がすごく好きなんですけど、クラスって“ホーム”じゃないですか。ホームである場所が、生徒にとって“居場所”であり、“同じゴールに向かって取り組む集団”であったら、いいなと。そこには、JRC部や野球部など部活動も様々、進路の希望先も様々であって、それぞれバックボーンが違うけれども、クラスという集団に愛着を持ちながら、お互いにいい所を持ち寄って生活できたらいいなって思っています。そのためには、お互いにある程度オープンでいられることが大切ですよね。

生徒に対して、何が残せるか。そのための授業づくりを-。

――最近では学習指導要領が変わることを含めて教育改革が進んでおられると思います。“主体的・対話的で深い学び”の実現に向けて、浅岡先生が授業づくりで大切にしていることは何でしょうか?

浅岡先生 生徒にとって何が残るのか、ということを考えていますね。生徒が、その瞬間にわかることも大切ですが、授業が終わったり、卒業した時に、何が残っているのかということです。

私は、公民科の教員ですが、授業の中では「ストーリー・企画・セッション」という3つの構成を意識して、授業作りをしています。

――“ストーリー”とは何でしょうか?

浅岡先生 ストーリーは、知識や情報などが今の社会でどんな文脈で語られているのかということです。たとえば資源・エネルギーの単元だと、「メインで使用している化石燃料は可採年数が限られている枯渇性資源です。また、二酸化炭素を排出するため、環境に大きな負荷をかけています」というようなことです。単元によって、データや写真資料を示したり、実際に起こっている問題や登場人物のエピソードを盛り込んだり、できるだけ生徒を引き込めるような工夫をして、一緒に巻き込みながらストーリーを進めて行きます。少し考えさせたり、会話のキャッチボールもしますが、基本的には教員がペースを握っている時間です。

――“企画”とは何でしょうか?

浅岡先生 企画は、ストーリーで得たことを基に、生徒たち自身が考え、取り組む時間のことです。

先ほどの授業の例で言うと、まずは「近年は、再生可能エネルギーが注目されています。太陽光・水力・風力などの一度利用しても再生が可能なエネルギーのことです。しかし、資料を見て分かるとおり、発電量に占める割合は非常に少なく、普及していないということがわかります。」というストーリー(知識や情報)を伝えます。

次に、企画です。「じゃあ、みんなはこれから再生可能エネルギーを、地域住民の皆さんに対して売る営業マンです!今からクラスを10グループに分けるので、1・2グループは太陽光、3・4グループは水力…と担当し、必ず特徴の説明だけでなく、メリットやデメリットを説明しながら売り込んでください。最後に、どの再生可能エネルギーを最も買いたいのかを地域住民の皆さんに投票してもらいます」というような生徒が中心になって活動する時間のことです。

生徒が、ここで自分で考えて、友達と話し合い、学習活動に参画していきます。ブレインストーミング、クエスション、チャート、ロールプレイングなどの形式をとって、試行錯誤しています。

浅岡先生の授業の様子①

――企画があることで、高校生の学びにはどのような影響があるのでしょうか?

浅岡先生 企画の狙いは、“自分ごと”として学習を捉えるようにすることです。

そもそも最初から生徒一人ひとりが、「再生可能エネルギー」に対して「地球温暖化問題どうにかしたい!」と強い興味や動機を持って授業に臨むわけじゃありません。だから、ストーリーだけの授業だと、扱うテーマに対して自分ごととして捉えることができずに、生徒の学びが深くなりづらい。でも、そこで企画があることで、自分ごとになりやすい。そこから学びがうまれることがたくさんありますね。

また、どうしてもストーリーだけだと、1対40という授業になってしまって、40人に「何か気になるところある?」と投げかけても、全員の前で「はい!」と手を上げることは、ハードルが高いものです。

そこで、隣同士やグループ同士で気になるところを話し合うスモールステップで参画することで、初めは遠いと思っていたり、自分に身近じゃないと思っていた学びが、自分ごととして捉えていけるようになるのだと思っています。

――学びを自分ごととして捉えていくための時間が、企画なのですね。最後の“セッション”とは何でしょうか?

浅岡先生 企画だけだと、活動するだけで、学びが深くならない場合もあります。そこでセッションの時間を設けています。この時間では、新しい気づきや深い学びが生まれることが大切です。生徒が気づいていないことや、考え切れていないことに対して、発問※などを通じて、内容を深めていきます。

私は生徒40人と、教師1人で進む授業の価値が、ここにあると思っています。授業に臨む生徒の関心事やバックボーンを理解しながら、その時のリアルに応じてやりとりしながら、お互いの学びを深めていく。ここが、学校の授業が提供できる価値だと思っています。

※発問…教員が学習者に対して行う教育的な意図を持った質問。質問することで本人の問題意識を引き出したり、発想を広げたり、思考を深めさせたり、何かに気付きを促すことをねらう。

――このセッションでは、それまでに学んできたことや気づいてきたことを、より深めていたり、広げていくための時間なのですね。先生としては、生徒の学びの手助けをしているということですね。

浅岡先生 そうですね。先ほどの例で言えば、最後の投票結果を発表した後に、こんなことを尋ねます。

・「△△グループは、どうしてそういう提案をしたのか教えて?」
・「さっき◯◯グループが話していたメリットが面白かったんだけど、もう一回皆に説明してもらえる?」
・「じゃあ、実際に街でよく見かけるのは?」「どうして太陽光ばかり目につくのかな?」
・「実際に導入してもらうためには誰と協力していけばよいかな?」

という様なやりとりをして、一人ひとりの気づきを全体に広げたり、全体に投げかけた質問を個人で落とし込んで考えさせたりします。最終的には、ふりかえりシートに今日の授業の振り返りを記述させます。その中に今日の授業で触れた再生可能エネルギーのメリット・デメリット、実際に普及させるための方策や課題などが知識として修得したこととして書けていたり、ストーリーとして語れるようになっていると嬉しいですね。

そして体験として、説得力のある提案をするために必要な情報を考えて集めたり、実際に人に説得力のあるプレゼンテーションをしたり、自分の発言が教室全体の気づきを促したり、というような経験を積ませられたらいいなと思います。

浅岡先生の授業の様子②

――ここまでの話を伺っていて、学校の先生が取り組んでいる授業も、そのために必要な能力も、正直、私が考えている以上のものなんだなと感じましたし、何より浅岡先生が取り組んでいる授業づくりは、時間がかかかりそうですね…。

浅岡先生 今年卒業する生徒が、1年生の頃から意識して取り組んできたので、今年でちょうど3年目ですね。授業づくりを意識し始めた最初の年はやはり大変でしたし、ボロボロな時もたくさんありました。

――苦労されてきたことも経てきたと思いますが、高校生の学びの定着や成長については、いかがですか?

浅岡先生 「学び方を学ぶ力」、「面白さに気づく力」を身につけてくれている気がします。授業で階段の降り方を習って、結果として、自学で深い階段を降りていけるようになるイメージです。そしてやはり内発的な動機で自分から勉強したことは定着しやすいと思います。

センター試験で問われる知識や学力についても成果がついてきました。また、生徒たちも「学んだ」という実感があるようです。新しいステージで課題や困難に対峙するときに、仲間と意見を出し合い合意を形成したり、発表した経験が役にたって欲しいと思いますし、そのときに「なんかこういうこと前にもやったことある気がする」みたいに思い出してくれたら面白いですね。

10年後、20年後に生徒が幸せに生きてほしい-。

――最後の質問です。今回様々な形でご一緒させていただきましたが、浅岡先生がこれからも生徒と関わっていく上で大切にしていきたいことは何ですか?

浅岡先生 私は、生徒に10年後、20年後に幸せに生きていってほしいと思っています。そのために必要なのは、知識や情報であったり、自分で考えて自分の意見を伝えることであったり、気持ちの持ちようだったり、大変な時に仲間と協力する力を得ることかもしれません。

だからこそ、いろんなことを、いろんな角度から経験させられるように、生徒と関わっていきたいですね。高校を卒業しても、その先で生きる学びをこれからもつくっていきたいです。

今回は、学校のあり方が変わっていく過渡期の時期に、群馬の学校教育の現場で取り組まれている先生について紹介しました。

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