【インタビュー記事】あるものは残そう。老舗米屋のアツイ想い | NPO法人Design Net-works Association

【インタビュー記事】あるものは残そう。老舗米屋のアツイ想い


私たちの活動拠点、群馬・高崎の街なかにはたくさんの文化施設があります。美術館、音楽ホール、図書館・・・、などなど文化を感じられる場所が身近にありますが、実は“歴史博物館”は存在しません。

高崎の語り部である迷道院高崎さんもお話していましたが、高崎の街なかにはたくさんの歴史が眠っています。

 

▼前回の投稿「高崎の語り部に聴く!歴史を活かしたまちづくり」

【インタビュー記事】高崎の語り部に聴く!歴史を活かしたまちづくり

 

そんな歴史博物館がない中でも、高崎の歴史に関する勉強会を開いたり博物館を作ろうと運動したり、高崎の歴史を残そうと熱い想いを持っていらっしゃる方がいます。

その名も金澤富夫さん。今回は高崎に何かを残そうと活動する金澤さんやお仲間の奮闘記をお楽しみください。

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金澤富夫(かなざわ・とみお)さん

昭和33年(1958年)9月4日生 57歳。高崎市元紺屋町にて育ち地元の小中高を卒業後、昭和52年大学進学の為上京、4年間の東京暮し経験。昭和56年4月大学卒業と同時に帰郷し、現在は金沢米穀販売株式会社の専務取締役。また高崎の歴史勉強会、「高崎史志の会」理事も務めていらっしゃいます。


 

 

代々続いてきた歴史の重み

金澤さんが経営する「金沢米穀販売株式会社」(以下、金沢米穀)は1690年創業の老舗のお米屋さんです。現在は高崎の街中で問屋から仕入れたお米をお店などに売る卸売業を行っていますが、元々は運河業が盛んな倉賀野で買米業(地方の大名から米を受け取って江戸に運び、札差などに米を売り、現金に換える業)を担っていました。

そんな金沢米穀は、現在に至るまでに二度の危機を乗り越えてきました。一度目の危機は、明治17年の高崎線開通による運河業の衰退。輸送の手段が運河交通から鉄道に移るにつれ、

それまでの輸送の仕方では商売が成立しなくなってしまいました。これによって金沢米穀は現在の高崎の街中にお店を移します。

二度目の危機は、戦後政策の一つ、「農地改革」によって引き起こされた貧困の時期です。農地改革とは、国が地主から農地を安い価格で買い取り、その農地を耕していた農家へ払い下げる、という政策です。金沢米穀も豊富な農地を所有し、農家から地代として受け取っていたお米を売って商売していました。

しかし農地改革によって農地が払い下げられ、それまで得ていた収入がなくなってしまい、商売どころではなくなってしまいました。

 


“金澤さん この貧困の時期は僕のおじいさんの代だったのですが、突然土地が払い下げられ、商売にならなくなる。それは路頭に迷うのではというくらい、非常に大変な時代だったと言っていましたね。


 

 

 

そのような戦後の貧困の時代でしたが、何とかやりくりをしながら、昭和26年に許認可を得て、小売りのお米屋を再開しました。そして時代の流れの中、小売業から卸売業へ特化して現在に至っています。そんな数々の危機を乗り越え、長い歴史と伝統がある金沢米穀の倅(せがれ)として育った金澤さんは、都内の大学卒業後に家業を継ぐことになりますが、小さいころは葛藤があったそうです。

 

 


“金澤さん 創業元禄3年(1690年)の歴史ある家業の跡取り息子として育って行くうちに、家業へ反発を感じた時期もありましたが、仕事や青年会議所活動を通して自分を見つめている中で、ジワジワと325年の歴史の重みを感じています。


 

 

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「あるものは残そう」

そんな米屋として30年以上、高崎の街中を見つけ続けてきた金澤さんが高崎の街なかで気になっていることがあります。それは高崎の中心地に“古いもの”がないことです。

 


“金澤さん 高崎ほどの中核都市で歴史博物館や史跡がない都市は珍しいことです。そのためか、高崎に住んでいる人でさえ高崎の歴史について知らない人が多いように感じますね。これは非常に残念です。


 

 

その一方で実は高崎には歴史資料がたくさんあります。しかし、その歴史資料もこの先ずっと残っているとは限りません。そこで金澤さん達は「あるものは残そう」という想いから、「高崎史志の会」(たかさきししのかい)という高崎の歴史を学ぶ勉強会を始めました。

 

歴史を残す場

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高崎史志の会は2005年7月に発足した高崎の歴史愛好家の集まりです。高崎の歴史を学び、後世へ伝えていくこと。そして高崎歴史博物館創設を目標としています。奇数月の第3木曜日の18:30から城址公民館で勉強会を開催しています。また、この会は会員制で会員の人が勉強会の講師を務め、現在50名ほどいらっしゃいます。

内容は主に高崎の歴史に関することを取り扱っていて、例えば高崎の文化人や殿様のことです。その他にも年に一回は高崎に関係する土地を訪れたりしています。

上の写真は高崎城の初代城主、井伊直政が後世を過ごした、彦根城へ研修旅行に行ったときの写真です。

 


“金澤さん 高崎史志の会は創立10周年を過ぎ活動も認知され、また会として「高崎市文化賞」を頂くなど行政からも認められました。この事を励みに、ぜひ「高崎歴史博物館」の建設運動を活発化させたいです。


 

 

先日、取材した筆者も実際に勉強会に参加させていただきました。私が参加した会では、明治維新と高崎の歴史との関係を学びました。実際に参加してみて感じたことは、教科書で習った一つの歴史の出来事の裏にはまたたくさんの歴史的出来事が隠れていること。また歴史全体の流れと高崎を関連付けて見ていくと、高崎は歴史的にどのような立場にあったのか?また歴史の激流の中でどのような動きをとっていったのか?など、教科書では習わなかったことまで学ぶことができて、とても貴重な経験となりました。

 

外に出ても高崎を語れるように

「高崎史志の会」に「高崎歴史博物館の建設運動」・・・ここまで金澤さんが活動している中には、「高崎の歴史を知ってほしい」という一つの想いがあります。

 


“金澤さん 元々高崎に生まれた人でも高崎の城下町やお殿様について知らない人がたくさんいます。それに今は学校でもそのようなことを教えられていない。だから子どもたちはそういった高崎の歴史をほとんど知らないで育ってきている。高崎の名付け親が井伊直政だってことも知らない子がたくさんいます。高崎は1598年に徳川四天王の筆頭「井伊直政」が箕輪から城下町を当時の「和田」に移し、高崎と命名したのが始まりだということは、高崎に住んでいるのなら知っておいてほしいですね。近所にもそういった歴史を教えてくれるおじさん、おばさんがいない。そういった人がいると子どもたちが食いついてくれるかもしれないのですが・・・。


 

 

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高崎の歴史を知る機会を子どもたちに与えたい。高崎の歴史を知ることでこれからの発展のヒントになる。大学などで外に出たとき高崎をある程度語れるくらいに歴史を知ってもらいたい。様々な想いが交錯しあって金澤さんは“高崎の歴史を残す”活動に取り組まれています。

 

高崎の歴史を残そうと奮起する人はこちらにもいらっしゃいます。そんな歴史を残そうとする場、「高崎史志の会」を実際に覗いてみてはいかがでしょうか?オブザーバーとして参加は自由です。

▼金澤米穀店 web

http://www.ne.jp/asahi/histrian/takasaki/diary1.html

 

▼高崎史志の会 web

http://www.ne.jp/asahi/histrian/takasaki/index.html

 

 

【おわり】