【インタビュー記事】高崎の語り部に聴く!歴史を活かしたまちづくり | NPO法人Design Net-works Association

【インタビュー記事】高崎の語り部に聴く!歴史を活かしたまちづくり


普段、何気に通っている街の中心であるまちなか。中心であるからこそまちなかには、たくさんの歴史や物語が詰まっています。それを知って街を歩くと、普段から馴染みのある街の姿も、少し違った見方ができるかもしれません。

実は私たちが拠点として活動している群馬県高崎市には、その歴史や物語を私たちに伝えてくれる“語り部”がいらっしゃいます。

その名も「迷道院高崎」さん。今回はそんな高崎の“語り部”である迷道院高崎さんが伝える、高崎の歴史・成り立ちと、そこから見える高崎の姿をお楽しみください。

 

11065841_924701304275523_5850509934547439147_n

迷道院高崎(めいどいん・たかさき)さん

高崎市新(あら)町でお生まれになり、宮元町、堰代町を経て現在は高崎市郊外に在住。本業は隠居。

副業でブログ「隠居の思ひつ記」を運営する傍ら、「上州弁手ぬぐい」による群馬県知名度向上に努めている。

高崎社会大学などで「高崎のトリビア」と題して、高崎の歴史などのお話をされている。

「上州どどいつ部」にも所属。


 

 

迷道院さんは、高崎生まれ高崎育ちの生粋の高崎民です。

現在は「隠居の思ひつ記」という高崎の歴史をブログで伝える活動をされて、7年目になります。

「迷道院高崎」という名前はもちろん本名ではなく、このブログのペンネーム。

このペンネームには、「メイドイン高崎」(高崎生まれ高崎育ち)という意味もかけられているそうです。

 

■きっかけは、隠居のはじまりから。

迷道院高崎さんは長年仕事を勤めご退職し、隠居し始めようとしたとき、若い世代に高崎を知ってもらうためにブログを始めます。

当初は、そんな想いから始めたブログですが、記事をあげていくと次第に、ネタが尽き始めます。

 


“迷道院高崎さん 隠居ついでに、昔の高崎が写っている写真があったので、それらを次の世代に伝えていきたいと思って始めたのがブログでした。ところが、いざ始めてみるとすぐにネタが尽きてしまったんですよね。そこで気付いたのは、僕は「メイドイン高崎」なんて威張って始めてみたものの、実は僕自身、高崎のことを知らなかった、ということでした。


 

そんな矢先に出会ったのが、“高崎の散歩道”という文庫本。

昭和の50年代頃に高崎市の観光協会が出版した、高崎の文化や歴史が描かれている文庫本です。

その本には、当時の錚々たる歴史の著名な方々が、実際に足を運んで記している高崎の街の変遷が描かれているそうです。

 

高崎の散歩道

 

■実際に足を運んでみると時間の流れを感じる。

「実際には何も知らなかったじゃないか…」という気持ちからブログを始めた迷道院さんですが、“高崎の散歩道”を読み、そこに書かれていた当時の写真や内容を基に、実際に足を運んでみたそうです。そこで発見したことを、日々のブログに書き記す…。

そんなことを繰り返したときに、時間の流れを感じます。

 


“迷道院高崎さん 本を片手に、僕自身も実際に足を運んでみて、昔の高崎と現在の高崎を照らし合わせて「あぁ、ここか!ここか!」なんていう発見を、最初は記していました。ところが、何度か足を運んでみると、当時には無かった道が出来上がっていたり、逆に当時にはあった建物が無くなってしまったり…。ひどい時には、置かれていたはずの石仏の場所がわからなくなってしまっているなんてことも実際にはあったんです。


 

 

図2

 

 

そんな経験から「昔の高崎を伝え、残していくことが大切なのではないだろうか?」という想いを強くし、今日に至る7年間で1,000を越える記事を書き、何と1カ月に12記事を書くペースで、高崎のことを記している。

 

 

図1

 

■たくさんの物語がある、高崎の由来

ここで高崎の基本的な歴史をおさらいしましょう。

高崎ができたのは、1598年。(慶長3年)初代高崎藩主、井伊直政が山城である箕輪城から平野に降りてきて、高崎城を築城したのが始まりです。「高崎」という地名となった理由は諸説ありますが、有力とされているのが、井伊直政と龍廣寺の白籠和尚とのやり取りです。

井伊直政が城を建て、地名を決める際に「松ヶ崎という地名にしたい。」と白籠和尚に伝えると、和尚は「諸木には栄枯がある。城を造るほどの大名になったのだから、成功高大の高をとって、高崎としてはどうか?」と言って、そこから「高崎」という地名になったというものです。


“迷道院高崎さん とは言っても、「高崎」という地名になった由来はたくさんありすぎて、どれが本当なのか今でもわかりません。鷹を飛ばせて、偶然現在の高崎の地にとまったという説もありますし(笑)本当にたくさんあって、調べれば調べるほどおもしろいものです。


 

 

図4

 

■高崎の歴史から見える街の物語

この他にも高崎にはたくさんの歴史物語がありますが、今回私は江戸時代に起きた「御伝馬事件」をピックアップしました。

御伝馬事件とは、宿場町で人や荷物の継送りする伝馬の役を担ったあら町を舞台にした事件です。他にも当時の中心地である本町と田町が伝馬を担いましたが、あら町は大きな商家が少なく財政的にも厳しい状況で、伝馬の負担は多大な物でした。そんな負担を軽減しようと、あら町の町民は高崎藩に申し出ますが却下されます。そして幕府に直訴しますが、そこでも却下され、それどころか主要な町人が入牢される始末を受け、あら町の負担はさらに増大してしまいます。それを見かねた寄合町と連雀町の商人が、あら町にお金が落ちるように取り計らいをし、あら町を助けたというものです。

▼「御伝馬事件」について詳しくはこちらをご覧ください。

http://inkyo.gunmablog.net/e340377.html

 


“迷道院高崎さん こういうような歴史事実を知ってまちを見るのと、そうでないのとでは大きな違いがあります。昔あんなに栄えていた町は、今は衰退してしまっている。

助けられた町の人々は、今こそご恩返しをする時ではないでしょうか


 

 

この「御伝馬事件」から町民同士の助け合いや、高崎駅が現在の場所にある理由など、様々な物語や事実関係が浮かび上がってきます。一つの歴史事実にはたくさんの物語が詰まっていて、それは現在にも何らかの形で残っています。普段皆さんが通っている道にも何かおもしろい歴史物語が隠れているかもしれません。それらを知っていると、通りすがりに「この建物には実はあんな歴史があるんだ。」という気づきや「あ!この間話を聞いた石碑!こんなとこにあったんだ!」という発見など、今まで知らなかった高崎の新たな一面を見つけることができることでしょう。

 

12143329_924701260942194_1000858412820925281_n

 

■まずは街を知ること

今、高崎では様々な団体が様々な地域活性化の取り組みを行っています。しかし、テーマが定まっておらず、どこかまとまりがないような印象を受けます。そこで迷道院高崎さんは「歴史をまちづくりに活かすこと」の大切さを伝えています。

 


“迷道院高崎さん 高崎にしか絶対ないもの、それは高崎の歴史です。これは何よりも活かすべきことです。まちづくりをする際、そのまちがどのように成り立ち、どのように変遷していって、住む人々がどのような想いを持って生活しているのか、これを大切にしてほしいですね。これが分かれば何をすればいいのか、おのずと見えてきます。

それを皆さんに伝えたくて、ブログを書き続けてます。


 

 

その土地の歴史を知ること。これはまちづくりにいろんなアイディアを与えてくれます。歴史を知ることにより、そこには何があったのか?だからここにはこんな物があれば人を引き付けられるのではないか?また、こんなイベントをすれば盛り上がるのでは?などと、様々なアイディアが浮かび上がってきます。

高崎には、そんなアイディアを思い浮かべるヒントをくださる“語り部”がいらっしゃいます。“語り部”が伝える歴史を知り、まずは街を知ること。これが大切なことです。

 

あなたも、街を知るために、まずは迷道院高崎さんのブログ「隠居の思ひつ記」をご覧になって、高崎の街を歩いてみてはいかがでしょうか?

▼隠居の思ひつ記

http://inkyo.gunmablog.net/

 

【おわり】

●文:田中 朋也(高崎経済大学地域政策学部3年・静岡県出身)